仏遺教経


三、煩悩を退治する教え


●瞋恚の煩悩を退治する


 あなた方僧侶方よ、もしもある人がやってきてあなた方の手足をバラバラにしたとしても、まさに自分の心を落ち着かせて、怒り・恨みの心(瞋恚)を起こしてはなりません。また、正しく口を守って、ののしったり恨んだりする言葉をいってはなりません。もしも内心の怒りを好き勝手にすると、そのこと自体が自分の道を妨害し、功徳の利益を失います。忍耐は偉大な徳であって、戒を守り、苦行をすることなどは及びもつきません。よく忍耐する者は、それこそ名づけて「力のある人」(有力の大人)というのです。もしも悪口雑言という毒でも[縁として]喜んで忍耐し甘受して、美味しいものを飲むように受けとめることができない者は、仏の道に入った智慧のある人とはいえないのです。理由はなにかといえば、怒りの害毒は、つまりいろいろな善き真実を壊し、よき噂を壊すのです。いまの人も、のちの世の人も、見たいとは思わないでしょう。まさに知るべきです。怒りの心は燃えさかる火よりも恐ろしいものです。常に口を守って、怒りの欲望に入らないようにしなければなりません。功徳を奪いとる賊のなかでも怒り以上のものはないでしょう。在家の純白の服を着て欲望のなかに住む戒をもたない人であっても、相手への怒りを許すべきです。ましてや世間を出て修行し、欲望を離れた人でありながら、怒りを常に心に抱いているのは、甚だよろしくありません。たとえば、涼しい雲のなかに突然雷が起こるのはふさわしくないようなものです。


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【怒りもぜんぶ食べてしまおう】
怒りは自分の頭を食い尽くすまで放蕩してる。神はその状況に耐え得るような試練をさせていることもある。それができなければいつまでも同じ状況で怒り狂う人間でおわってしまう。預流果は王より偉いらしいが怒りを獅子頭みたいに食べてしまえるまでになったのだから人間を超えているのだろう。預流果となった者はマウンティングしたいことだろうが叩けば崩せる城壁も落とさずにいる。逃げたと言われても耐える。



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