Comte de Lautreamont
Les Chants de Maldoror


ロートレアモン伯爵:『マルドロールの歌



 古き大洋よ、おまえは強力だ。それを人間どもは、わが身を犠牲にして理解する。そして自分たちの才能のあらゆる源泉をつかいはたす……、がおまえを支配できない。彼らのほうが支配者をみつけた。つまり、自分たちよりも強いものをみつけたのだ。それは一つの名をもつ。その名、それが大洋だ! おまえが彼らにひきおこす恐怖が大きいので、彼らはおまえをうやまう。うやまわれてもおまえは、彼らのもっとも重い機械に、やさしくエレガントに、そしてやすやすとワルツを躍らせる。おまえはさらにその機械を、天上までも飛躍させ、おまえのどん底まで、すばらしく潜水させる。軽業師がやきもちをやくだろう。おまえの水性のはらわたのなかへ、線路もなしにもぐりこみ、魚たちがどうしているか、わけても自分たちがどのようになるのか、見てやろうとする人間どもを、おまえが泡立つ襞で決定的に、包み込んでしまわないなら、それはまことにめでたいことだ。人間は言う、「おれは海よりもかしこい」と。それはありうる。かなりほんとうだ。しかし大洋が人間をおそれる以上に、人間は大洋をおそれる。それは証明の必要がないほど明白なことだ。この宙吊りのわれらの地球の創世記と同時代人であり、かつ傍観者でもあるその古老は、国々の海戦を見ると、あわれんでほほえむ。ほらほらあれは、人類の手から生まれたえらい数の海獣たちだ。上官のおおげさな号令、負傷兵の悲鳴、砲撃のひびき、どれもこれも、数秒の静寂を消すための騒音さ。おや、ドラマが終わったようだ。みんな大洋の腹のなかに収まったかな。なんというおそるべき口。それは底にいくにつれて、未知の世界にむかってひろがっている! この馬鹿馬鹿しい、面白くもないコメディーの最後をかざるのは、疲れのために遅れてしまった、空中に見られるどこかのコウノトリの、羽ばたきをとめることもなく、飛びながら叫びはじめるこんな言葉だ。「おや……、なんて下手くそなお芝居だこと! あそこに黒いつぶつぶがあったのに、わたしがまばたきしてるうちに消えちゃったわ。」 ぼくはおまえに頭がさがる、古き大洋よ!
 古き大洋、おお偉大な独身者よ。おまえの粘液質の王国の荘厳な孤独のなかを、おまえが駆け巡るとき、おまえの生まれながらのすばらしさと、ぼくがいそいそとおまえにささげる真実の賞讃とを、おまえはまともに鼻にかけてもよいのだ。神聖な力がおまえにめぐんださまざまの性質のなかで、もっとも偉大なものであるおまえの、おごそかなゆるやかさのやわらかな発散に、うっとりとゆすぶられ、おまえの比類なき波濤を、くらい神秘のただなか、おまえの崇高な表面にとこしえの力を冷静に感じながら、おまえはくりだす。それはみじかい間隙をたもち、平行してつづく。ひとつの波がおとろえるとすぐ、もうひとつが高まりつつやってきて、メランコリックな泡のざわめきをたてながら、すべては泡だとぼくらに告げる(人間もそうで、その生きている波も、ひとつまたひとつと単調に死んでいくが、泡のざわめきを残すことはない)。渡り鳥は波のうえに安心して憩い、その翼の骨が空の巡礼をつづけるための、いつもの活力をとりもどすまで、誇りにみちたやさしさでいっぱいの、波のたゆたいに身をゆだねる。人間の尊厳がせめて、おまえのそれの反映の具現だったらとぼくはねがう。ぼくはほんとうにそうねがっているし、ぼくのそんなせつなるねがいこそ、おまえの名誉なのだ。無限ということのイメージであるおまえの心の大きさは、哲学者の省察のように、女の愛のように、鳥の崇高な美しさのように、詩人の瞑想のようにかぎりない。おまえは夜よりも美しい。答えてくれ、大洋よ、ぼくの兄弟になりたくないか? はげしくおまえを動かせ……、もっと……、おまえを神の復讐と、ぼくにくらべさせたいのなら、もっと、もっとだ。おまえの鉛色の爪をのばし、おまえみずからの乳房に、ひとすじの道を切りひらけ……、よし。おまえの驚異の波をくりだせ、ぼくだけが理解者であるみにくい大洋よ、ぼくはおまえのまえに身を投げ、ひざまずき、ひれふす。人間の尊厳なんぞ借りものだ。畏敬の念などとんでもない。だがおまえはちがう。おお! おまえが進むとき、高くおそろしいとさかを立て、臣下をひきつれるように曲がりくねった襞にかこまれ、霊術師にして獰猛なおまえの波を、つぎからつぎへところがし、自分がなんであるかをしっかりとこころえ、ぼくなどにはうかがいしれない、はりつめた悔恨にさいなまれているかのように、人間どもが岸辺から、安全に眺めていてもふるえあがるほどの、あの重く涯しない咆哮を、おまえは自分の胸の奥底からひきずりだす。そこで、おまえと自分が平等だなどという格別な権利が、ぼくにはないことをぼくは悟る。だからぼくは、おまえの厳然とした優越性にふれて、ぼくの愛(美へのあこがれを含むぼくの愛の総量は、まだだれも知らないが)のすべてをおまえに捧げる。もしおまえがぼくに、ぼくの同類をにがにがしいやつらだと思わせないでくれるなら。ところが人間どもは、おまえとは最高に皮肉なコントラストを見せ、神の創造物のなかではずばぬけて、おまえのこっけいな対象物なのだ。だからぼくはおまえを愛せない。ぼくはおまえが嫌いだ。おまえの手にさわってもらうと、ぼくの熱が消えてしまうようだからといって、なぜぼくは、ぼくの燃える額を愛撫してやろうと開かれた、おまえのやさしい腕のなかに帰ってくるのか、何度も何度も! ぼくはおまえのかくされた宿命を知らない。だがおまえのすべてをぼくは識りたい。だから言ってくれ、おまえは暗黒の王子の宮殿なのか。言ってくれ……、答えてくれ、大洋よ(幻影しか見たことのないやつらを悲しませるといけないから、ぼくひとりにだけ)、おまえが雲の高さまで水をもちあげる嵐は、悪魔の息吹のせいなのか。おまえはぼくに答えるべきだ。そんなに現世のちかくに地獄があるのなら、ぼくはうれしいからだ。これでぼくは、ぼくの祈りを終わりたい。だからもう一度だけ、ぼくはおまえをたたえ、わかれの言葉をおくりたい! 水晶の波もつ古き大洋よ……、ぼくの眼はとめどなく流れでる涙にくもり、ぼくはもう書きつづけられない。そろそろけものづらの人間どものあいだに、帰るときがきているのにぼくが気づいたからだ。だが……、勇気を! がんばろう。そしてつとめだと思って、この地上でのぼくらの宿命をまっとうしよう。ぼくはおまえに頭をさげる、古き大洋よ!