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チュイルリー宮殿の公園のベンチに、腰をおろしていたあの少年は、なんてやさしかったことか!彼の勇敢なまなざしは、とおくの虚空に、目に見えない対象を刺しつらぬく。彼が九歳以上であるはずはないのだが、彼は年齢にふさわしい遊びを楽しみはしない。すくなくとも、彼は笑うべきだった。そして一人ぼっちでいるかわりに、友人たちと散歩すべきだった。だがそれらは、彼の性格にはあわなかった。
「ねえぼく、ぼくちゃんはなにを考えているのかな?」
「天国のことです」
「天国のことなんか、考えなくてもいいよ。地上のことを考えるだけでじゅうぶんだ。生まれてまもない君が、もう生きるのに疲れたのかな?」
「いいえ、でもだれだって、ここよりは天国が好きなんですよ」
「まあいい。でもわしはちがうよ。天国だってこの地上とおなじように、神様に創られたんだから、君は天国でもこことおなじ不幸にでくわすことは、まあ確実だね。死んでからだって、君は自分の手柄で、ごほうびなんかもらえないよ。君がこの世で、かずかずの不正をこうむったからといって、あの世では、もうそんな被害をうけないという保証にはならないのだよ。君の得になるやりかたは、神様のことは考えないということだね。そして、他人が拒んでも、君は君自身に正義を行うべきだよ。それで、友人のだれかが君を責めたら、そんなやつは殺してしまうことで、君はしあわせにならないだろうか?」
「だけど殺すなんて、それは禁じられています」
「君が思いこんでいるほど殺人は禁じられていないよ。ただそれを、やりっぱなしにしなければ、それでいいんだ。法律にかかわる正義なんて、どうだっていいんだよ。考えねばならないのは侮辱罪の判例くらいのものだ。君が友人のだれかを嫌っていて、その野郎の思っていることが、いつも目のまえにちらつくのが気になる不幸に、君は襲われたことがなかったかね?」
「それはあります。そのとおりです。」
「だったらそのやつは、君の一生自分を不幸にするんだよ。だって君の憎しみが、受け身のものでしかないのがわかれば、やつはすくなくとも、君をあざわらうのをやめないだろう。そして罰をうける心配なしに、君に悪いことをしつづけるだろう。だからそんな状態に終止符をうつには、一つの方法しかないんだ。それはやつを消すことだよ。だからわしは、現実の世の中がどんな基盤からできているのか、それを君にわからせたくて、それでここにきたかったのだ。阿呆でもないかぎり、人はめいめいが、それぞれの正義を行わなくちゃならんのだ。同類たちを支配したいとは思わないかね?」
「ぼくもそれは思います」
「それならもっとも強く、最高にずるくありたまえ。最強であるためには、君はまだ幼すぎる。しかし、人類の才能のもっとも美しい武器である狡猾は、今日からでも使える。羊飼いのダビデが、投石器のはなつ一つの石で、巨人ゴリアテの額を襲ったとき、ダビデの勝利はひたすら、策略のおかげであったことは、じつにすばらしいことじゃないかね?
もしそうじゃなくて、素手で戦っていたら、巨人はダビデを蠅のようにおしつぶしていたにちがいない。君の場合もおなじことだ。正々堂々戦うなら、君の意思に従わせようと君が思っている奴らに、君は絶対に勝てないだろう。だけど策略をめぐらせば、君は一人で、みんなと戦えるのだ。君は、富やすごい宮殿や栄光が欲しくないかね?
それとも君が、あのように高貴な抱負をぼくに語ったのは、あれは嘘だったのかな?」
「いえいえ、ぼくはあなたをだましたのではありません。ただぼくは、ぼくの欲しいものを、ほかの方法で手に入れたいだけです。」
「でもそれじゃあ、君はぜんぜんなにも手に入れられないだろう。高潔で正直な手法は、くその役にも立たないのだよ。もっとエネルギーにみちた梃子と、もっとかしこいたくらみを活用しないと。君が君の美徳で有名になり、君の目標にたどりつくよりはやく、ほかのやつらはみな、倒れた君の背中のうえでとびはねながら、君よりさきに競技場のゴールに着いてしまうだろう。こんなふうに、君のせまい考えのための場所など、もう残されてはいないのだ。もっと心をひろげ、現世の地平まで清濁をあわせのむことができなくっちゃあ。たとえば、かずかずの勝利をもたらすおそるべき栄光のことを、君だって一度ぐらいは聞いたことがあるだろう?
だが勝利は、それだけで得られるものではない。勝利をはぐくみ、そしてそれを勝利者の足がふみしめるためには、血が、たくさんの血の流れることが必要なのだ。君が良識をもって殺戮を行った戦場でも、ちらばる屍体やばらばらの手足がなければ戦いはなく、戦いあんくして勝利もまたない。だから有名になりたければ、血の流れに優雅に身をしずめ、人肉で大砲を養わなければならないということが、君にもわかるだろう。目的が手段をゆるしてくれるよ。有名になるためにいちばん大切なことは、金銭をもつことだ。そして、君が金銭をもっていないのなら、金銭を手に入れるために、人を殺すべきなのだ。だが、君はまだナイフを、使いこなすだけの力がないから、もっと身体が育つまでは、泥棒をすればいい。そして、君の身体をはやく育てあげるために、日に二回、朝一時間と夕方一時間の体操を、ぼくは君にすすめる。そうしていれば、君は二十歳まで待たなくとも、十五歳になれば、確実に成功をする犯罪をためせるようになるだろう。栄光への愛着は、すべてをゆるす。そしておそらくずっとあとで、同胞の主人である君は、はじめに彼らに為した悪とほぼおなじだけの善を、彼らにかえしてやるだろう!……」
マルドロールは、若い話し相手の頭のなかに、沸騰する血を見た。少年の鼻孔はふくれあがり、唇にはすこしだが、白い泡が見られる。マルドロールは少年の脈をとる。脈拍がはやい。熱病がデリケートな肉体にとりついたのだ。少年は話のつづきをおそれる。さらにながく少年と対話することができなくなり、このわざわいの主は、ひっそりと姿をくらます。しかし、大人であっても善と悪とにバランスをたもち、情欲をコントロールするのがなかなか困難であるのに、このまだ未経験でいっぱいの精神にあっては、どうだろう? この少年はどれほどの相対的エネルギーを、必要とするだろうか? 彼は三日間寝床につくために、チュイルリー宮殿を去るだろう。この美しい魂を包みこんだ、感じやすくこわれやすい花に、母親のスキンシップがなんとか、平和をもたらしてくれますように! |
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