愛と憎しみ

ベザント博士:『意識についての研究』


欲求は二つの主要な表現のしかたをもつ。一つは、以前によろこびを与えてくれた何らかの対象を所有したり、それともう一度接触するために、それをひき寄せようとする欲求である。もう一つは、以前に苦しみを味わわされた何らかの対象を追いはらい、それと接触するのをさけるために、それを拒もうとする欲求である。「誘引」と「拒否」の二つが自己を左右する二つの欲求形式である。情動は欲求と知性が混ざり合ったものであるから、これも同じく二つの区別を示す。「誘引」する性質を帯び、よろこびによって諸対象を互いにひきつける情動、つまり宇宙における統合エネルギーは「愛」とよばれる。「拒否」する性質を帯び、苦痛によって諸対象を互いに引き離そうとする情動、つまり宇宙における破壊的エネルギーは「憎しみ」とよばれる。この二つはいずれも欲求という同じ根から出てきたものであって、すべての情動はこの二つのいずれかに帰着させることができる。
したがって、欲求と情動とはその性質を同じくするものである。「愛」は好ましい対象を自分にひきつけようとし、それと一体になるためにそれを追い求め、それを所有したりそれから所有されたりすることを欲する。「愛」は、欲求と同じように、よろこびと幸せによって結びつける。愛の結びつきはより永続的であり、またより複雑で、無数のデリケートな糸がより合わされて大きな全体を成しているものであるが、二つのものを互いに結びつける「誘引−欲求」の本質は、同時に「愛」という「誘引−情動」の本質と同じなのである。同じように「憎しみ」は、好ましくない対象から離れるために、それを追い払ったり、それから逃れようと欲し、それを拒絶したりそれから拒否されることを求める。「憎しみ」は苦しみと不幸によって互いに分離する。このように「拒否−欲求」の本質は、二つのものを引き離すところにあり、「憎しみ」という「拒否−情動」の本質と同じものである。「愛」と「憎しみ」とは、所有と忌避という単純な「欲求」が複雑になり、人間のさまざまの思いが混入した形なのである。