クンダリニーの自然覚醒

リードビーター著:『チャクラ』より


 蛇の火の深層がひとりでに目覚め、にぶい灼熱感を覚えるような事例がある。稀には、ひとりでに覚醒が進行してゆくことさえある。こういう場合には非常な苦痛が生じる。火が通ってゆくためには大量のエーテルの層を燃焼させてその通路を掃除しておかなくてはならないのであるが、この準備ができていないために苦痛が起こらざるを得ないのである。このようにしてひとりでに覚醒したり、偶然によってそうなったりした場合、火は、低い穏和な現れ方によってとられる道筋に従って、ふつう脊柱の内部を上昇しようとする。できるならば、意思によってその上昇運動を抑えた方がよい。多くの場合、抑えることはできないものであるが、しかしこれはそう心配ではない。火は頭を通って周りの大気中に放出されるし、人は軽い消耗状態におちいるくらいで、それ以上の危険は生じない。一時的に意識を失うことはあるが、それ以上のことは起こらない。火の上昇運動には、おどろく程の危険は伴わないものである。危険なのは、その流れが下方や内側に向かう場合である。
 神秘的修行におけるクンダリニーの主な役割は、前にものべたように、エーテル的身体にあるチャクラを通じて火を送り、これらのチャクラの活動を活発にして、それらが生理的身体とアストラル的身体を結びつける通路として十分役立つようにすることである。『沈黙の声』に述べられているように、蛇の火が眉間のチャクラに達してそれを十分に活発化すれば、師匠の声を聞く力が与えられる――師匠の声というのはこの場合、本来の自我ないし高次の自己を意味している。これは、脳下垂体がエーテル的次元ではたらくようになり、アストラル的身体との間に完全な連結が作り出され、これによって魂の内なる領域からくるすべての情報が受信されるようになったからである。
 このチャクラばかりでなく、すべての高いチャクラもやがては目覚め、それぞれがアストラル的領域の存在の諸段階からくるあらゆる種類の作用を感受するようになるであろう。この発展は、すべての人々にそれぞれの道をへて訪れてくるものであるけれども、多くの人々は、現在の生の間には目標に達することができない。はじめてこのような修行にとりくんだ人は、今生の努力だけでは解脱できない。インド人の身体は遺伝的に、他の多くの人種よりも修行に適しているので、成功することもある。しかし大多数はやはり、次の再生の時に修行を完成するのである。蛇の火の制御は、再生のたびごとにくり返して行わなくてはならない。魂は新しく生を受けるたびに、新しい肉体をそなえるからである。しかし、一度十分な修行をつめば、次の生における修行はずっとらくになる。この場合、蛇の火の働き方は、人によって様々であるということに注意したい。たとえばある人々は、高次の自我の声をきくよりもその姿を見るであろう。さらにまた、高い存在との結びつき方にも多くの段階がある。
(訳注 魂の段階は個体の「性質(パーソナリティー)」、真の「自己」、高次の「単子(モナド)、神的な「ロゴス」にわけられる。したがって)まず一定の「性質」をもつ個体にとっては、高い次元との結びつきは真の「自己」の作用を受けとることであり、「自己」そのものにとってはより高い「モナド」の力を意味し、さらに「モナド」にとっては、それは「ロゴス」(神)を自覚的に表現できるに至ったことを意味するのである。