音楽

小澤征爾 武満徹
新潮文庫




日本人の耳、西洋人の耳

武満 小澤さんはステージに出る前に、木片に触らないと出られないというのは……。
小澤 ありゃ、おまじないだね。
武満 こないだNHKテレビで、ボストン・シンフォニーの来日公演のベルリオーズの『幻想交響曲』だったけど、中継してたでしょ。あの時もあなた、木に触ってから出ていったでしょ。あれ、テレビを見ていた人、誰も意味がわからなかったと思うな。僕はああ、またやってるなと思ったけどね。
小澤 あれは、おまじないね。あんまり現代的じゃないけど、昔っからやってるんです。木が好きなんですね。
武満 僕は近頃、音楽をやるために大事なものは、空気と木だと思うんです。音楽は、結局空気振動でしょ。だからバカでかいホールは嫌いですね。西洋のオーケストラにとっては、ある程度このぐらいのホールが良いという、標準みたいなものがあるでしょう。まあ、それこそ本当は木でできてるほうが美しい響きが出る。だけどこの頃のレコーディング・スタジオなんかに行くと、空気はぜんぜん要らないの。ミキサーは演奏中もスタジオの中に出てもこない。ギターは全部電気ギターだから、直接電気へ直結する。どんな楽器でもシンセサイザーでも、全部直接真空管から真空管、トランジスタからトランジスタにつながってるわけ、いっさいの空気の響きは不要になっている。僕が古いのかもしれないけど、それはとっても怖いことだ。
小澤 いや、もしかするとね、それはえらい問題かもしれないよ。あなたいま、この頃といったけど、どこと言わなかったろ。最近日本がそうなんだよ。ある一流のレコード会社、もちろん技術も相当いい。まあ世界で一番か二番かと彼らは思ってる。そのレーベルの日本の会社がある。素晴らしいスタジオがある。外国で録音してまだ未編集なのを、レコードにカッティングする前にテープを聴くわけ。で、ここはダメ、ここはオーケー、バランスがいい、悪い。それから編集した部分があるでしょう。そこの切り方がよくないとか、指揮官が指示を出すわけ。そして演奏自体がいいかとか悪いかとか聴かなきゃいけないわけです。たまたま、現地のヨーロッパで聴く時間がなくて、同じ会社の日本のスタジオで聴こうということになって、向うのプロデューサーがはるばるテープを持って日本まで来たわけ。そして日本のスタジオへ行って、そこで聴いたわけよ。ぶったまげちゃったわけね、これは。世界的なレーベルの本職の、素晴らしいスタジオ!というわけ。ところが、音がまるっきり違う。なぜ音が違うのかというと、向うの技師いわく、ここのスタジオではクラシックはやったことがない、要するにそこのホールではクラシック録音をしてないから、みんなロックンロールの音になるんだろうというわけらしいんだ……。試聴室は音を鳴らすとこじゃなくて、試しに音を聴く部屋なのに空気が全くないというんだよ。そうするとナマのシンフォニーの音が聴こえてこないわけだよ。
武満 要するに、空気がないのよ。ソリッドでさ。
小澤 うん、逆に言うとね、昔、音楽喫茶っていうのが流行っていて、そこへ行くと、きょうはフルトヴェングラーのベートーベン、朝から晩までやってます、ってわけ。行くと、ベートーベンの八番やったりしてるわけだけれど、その音が非常にもう素晴らしいのよ。家じゃ聴けないような。そのスタジオの音は、その喫茶店の音に近いんだよ、今から考えると。ドライな喫茶店の音に人工的エコーをかけて、すごいスピーカーで流すと、そういう音になるだろうね。
それは絶対生のシンフォニーの音じゃない。もしかすると――これはもう大きな声では言えないけど――その時のわれわれの結論は、ひょっとすると、日本人全体のね、クラシックの人も含めて、さらにソニーとかパイオニアとか、機械をつくり、音をつくっている技術者や日本人の全部がね、どこか違う音を求めてるんじゃないかというわけ。はるばる外国からやってきたそのプロデューサーは、向うのレコードと日本製のレコードもっと聴きくらべたいって言っていた。僕も興味があるね、聴きくらべてみたい。
要するに僕が言ってることは、なにもロックンロールとクラシックの違いじゃなくて、日本人全体の機械を通す音に対する感覚が、特殊じゃないかということですね。日本にはいいホールが少ないでしょう。ウィーンのホールとか、手前みそになるけど、ボストン・シンフォニー・ホールとかカーネギー・ホールとかベルリンのホールとか、そういう上等なホールが今あんまりないわけ。日本で一番いいのが東京文化会館とか大阪のフェスティバル・ホールとかでしょ。それも僕にしてみるとね、不満がないわけじゃない。
武満 そうねえ(笑)
小澤 音がそんなに暖かくないんですよ。ナマのいい音じゃない。少なくとも僕が聴くステージの指揮台の上に立つとね、ちょっと違うわけ、いつも。最初は多分オーケストラが違うからじゃないかと考えたりするんだけど、今度ボストン連れてきてみると、やっぱり音が違う。
そうすると、そういうホールの音をつくる人、そのホールの音を聴いて機械をつくる人、全部ひっくるめて、耳の組織のどっかで違う種類の音を求めはじめているんではないかと思うわけ。そして、その特徴的な例がさっきのスタジオにぱちっと出てきたわけ。だって最優秀の技術者がそこにすわって最良の音を再生してくれていてそれなんですから。もうこれ以上贅沢は言えないわけよ。すると結局一応の答えは、ロックンロールのスタジオですからということなのね。機械が違うんだって、再生する機械が。
武満 だがそれだけの問題じゃないですよ。僕はやっぱり困ると思うな、いまの日本は。いま、たしかに学術的にも、日本人と外人とでは耳の特色が違う、脳の構造が違うという実験データが報告されているけど、そういう理由からじゃなくて、日本では音楽の音がかなり歪められていると思うな。音楽科が、たとえばロックンロールにしろ、やっぱり音楽のバイブレーションのなかに自分が入る歓びを知らないというのは間違ってる。たとえば、エマースン・レイク&パーマーというロックのグループがあるじゃない。以前に日本に来たとき、彼らと喋ったんだけどね、日本でやる音楽会は大嫌いだ、なぜなら本当の音楽ができないから、だって。後楽園で、スピーカーのワット数をあげて、何万人の聴衆を相手に演奏したって、僕たちのロックは本当にはわかんない。そう言ってた、ハッキリと。アメリカでだって、大きいとこでも勿論やるけど、自分たちはもっと小さい会場ででもやると。だから喜びもある。だが日本ではだめだって。
今の技術者たちは空気をぜんぜん信用してないみたいだね。空気は音楽にとって一番大事なものなのに。例えば外国のホールだって電気的にある程度修正を加えてるとこありますよ、ウィーンエリザベス・ホールにしたって。だけど、日本の場合は、基本的に、西洋音楽をやる態度として大きな問題があると思うな。