佐藤俊明『修証義に学ぶ』

第十七節 すべては仏の声と姿と



 諸仏の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず、群生の長えに此中に使用する、各各の知覚に方面露れず、是時十方法界の土地草木牆壁瓦礫皆仏事を作すを以て、其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の仏化に冥資せられて親き悟りを顕わす、是を無為の功徳とす、是を無作の功徳とす、是れ発菩提心なり。

 (大意)
 もろもろの仏たちは、常に仏戒の中に生きておられるので、まことに自由無礙で、事に処して捉われやこだわりがない。仏戒を受けて諸仏の位に入った者もまた、その生きざまは、自由自在を得て心に跡が残らない。仏戒の中に生きる悟りの境地からみれば、この大宇宙のあらゆる存在がすべて仏のはたらきをあらわしている。そして私どもは風水、すなわち草木国土の自然界からさまざまの利益を受け、その甚妙不可思議の仏の教化に導かれて、われわれ自身が新しく悟りを開くことができるのである。これがたくまざる自然のはたらきであり、人の心がこのようにはたらく時を発菩提心、ほんとうに仏心が起きたというのである。



― 鳥の飛ぶがごとく ―


 先住地の近くには冬、白鳥がやってきます。寒月の冴えわたった夜、優美な姿とは不釣合いなその鳴き声を聞いて窓をあけて天空を仰ぎ見ると、美しい白鳥が見事な編隊を組んで飛来し、春三月にはまたシベリヤ指して帰ってゆきます。考えてみると不思議なことであります。人類が、科学と技術と財力を結集して開発した航空機が、コンピューターのおかげでようやく最近長距離飛行ができるようになったというのに、あの小さな体のどこにそれだけの能力が秘められているのでしょう。
 大智禅師(1290〜1366)に「鳥道」と題する次の詩があります。
  翻身して劫空の前に到らんことを求むれば
  歩歩、須らく行くべし、鳥道の玄
  眼見、聞耳に滲漏なく
  妨げず、声色裏に安眠することを
 鳥道は、人の歩く道と異なり、空を飛ぶのでなんの跡形もない。同様に私どもが悟りの境地に到達しようとするなら、思慮分別をさしはさまず、取捨憎愛の念を捨てて、鳥の空を飛ぶがごとし、跡形も残さず、無心になることが大切だ、ということを教えたものであります。
 騒音を出し、空気を汚染する航空機はまさに航跡明白、まだまだ鳥に学ばなくてはなりませんが、それ以上に、取捨憎愛の念の捨てがたい人間が悟りの境地に到達することはさらにむずかしいことであります。
 仙腰a尚(?〜1431)といえば、出光興産が例年出しているカレンダーに見る、あの脱俗な禅画を思い浮かべる人が少なくないでしょう。その仙腰a尚が博多の聖福寺の住職に迎えられた頃の話だそうですが、ある日寺に帰る途中、今にも夕立がやって来そうな雲行きとなりましたので、仙腰a尚は急ぎ足になりました。運悪く小石でも踏んだのでしょうか、安定がくずれた途端、下駄の鼻緒がプツンと切れてしまいました。”困ったなァ”と思っていると、横丁の豆腐屋のおかみさんがすっ飛んできて、かぶっていた手拭を裂いて手際よく鼻緒をすげてくれました。仙腰a尚は下駄を受け取り、一礼して去りました。ところがおさまらないのはおかみさんです。
 「こんど来た和尚、偉い人だというけど、礼儀も知らんじゃないか。人から鼻緒をすげてもらって、お礼の一言もいわない。なにが偉いんだ」
 よほど腹に据えかねたとみえて、会う人ごとにぼやく。それを伝え聞いた人が仙腰a尚にそのことを話すと、仙腰a尚は、
 「そうか。おかみさんは一言お礼をいってもらいたかったのか。わしは、ひとことお礼をいって帳消しにしないで、胸におさめて一生忘れまいと思っていたのに……」
 とつぶやいたとのことです。このおかみさんは仙腰a尚の困っている姿を見てすっ飛んで行き、鼻緒をすげるまでは無心だったと思います。が、仙腰a尚に下駄を渡してお礼の言葉をもらわなかった途端、己れの善行意識が頭をもたげ、善行に報われなかったのに腹を立てたのでありましょう。「布施というは貪らざるなり」、善行意識のむさぼりがあってはせっかくの善行も台無しになるのです。
 これは豆腐屋のおかみさんに限ったわけではありません。よほど修行を積み重ねた人も間々こうした過ちを犯すのであります。

 趙州禅師(778〜897)といえば禅宗では誰一人知らぬ者とてない、中国唐代の傑僧であります。この趙州禅師のところへ、ある時、厳陽という僧がやって来て、
 「一物不将来の時如何!」(私は何も持って来ないのですが、こんな時どうすればいいんですか)と、問答一番に及びました。すると趙州禅師、言下に、
 「放下着!」(捨ててしまえ)と答えました。そこで厳陽、
 「一物不将来、箇の何をか放下せん!?」(何も持って来ないというのに、一体何を捨てろとおっしゃるんですか)と、くってかかりました。すると趙州、落ち着き払って答えて曰く、
 「恁麼ならば担取し去れ」(そんならさっさと持って帰れ)と。
 これはどういうことかというと、厳陽は「一物不将来の時如何」、つまり、私はもう悟りを開いて無心、無我に徹し、無一物になり切っている。こういう私の今後の修行はどうあればよいのか、という質問を呈示したのであります。
 しかし趙州からみると、その一物不将来がどうも鼻にかかっている。私どもは真に健康な時は健康を忘れております。同様に、無我に徹し、無一物になり切っているのなら、そのことを意識するものではありません。それを偉そうに「一物不将来の時如何!」などというのは、自分の悟りに滞っている証拠であります。ですから「放下着!」、お前の鼻先にぶらさがっているその思い上がりを捨てろと、趙州は親切に教えるのですが、厳陽には通じない。まさか心の底まで見抜かれているとは思ってもいない。そこで「一切不将来、箇の何をか放下せん!?」と、くってかかるのです。そこで趙州は「恁麼ならば担取し去れ」、そんなに大切なものなら、さっさと持ち帰ったらよかろう、と軽くあしらうのです。
 こういうふうに私どもは、いいことをやったと思えばそれにこだわり、悟りを得たと思えばそれに滞り、どうだ、えらいものだろうといわんばかり、鼻をピクピクさせるのです。そうではなく、鳥が空を飛ぶようになんの跡形ものこさない心の姿、それが「各各の知覚に方面露れず」なのであります。
 何事につけても心にとらわれがなく、そして心の動きやおこないに跡形をのこさない、この時はじめて自他対立の壁が取り除かれ、人の心は大自然と同一歩調となり、「春、百花あり、秋、月あり。夏、涼風あり、冬、雪あり。もし閑事の心頭にかくることなくんば、すなわちこれ人間の好時節」(『無門関』)に遊ぶことができるのであります。これが受戒の功徳であります。