宗教板であすんだ想い出渦津神たちの棲家 消してほしいログや載せてほしいスレありましたらメールで。
・・・ 宗教否定者いらっしゃーい ・・・ ★★宗教否定者いらっしゃーい 2★★ 地界の人は議論が好きだ。屹度馬鹿にも、たいして才覚があるわけでもなしに議論してる。今回の標的は電球。こいつに霊の実在を肯定させてやるんだ。うん、と言わせるんじゃなしに、肯定的な発言をさせる。これはVIPに倣った。彼は大人で論法じみてない。不明よりはちょい上。霊的能力は皆無だけど。 最近、如意輪観音によく巡り合うので六道でいう天上界寄りかも。ということで通過儀礼にしてた。不空羂索観音は最近思い出さなくなった。これは面白い。今回思いついたことも面白い。むかつかないけど難しいという。 オカルト板で修行したので攻撃力はもういいんだな。地獄の炎をカルラ炎にするのが難しい。 不明は強力だった。あのダメさ加減に博識と霊能が加わるとあんなに手に負えない相手になる。でもつっぱってる奴はちくちくと突いていけばよかった。素直さのない人間がいざというときには脆い[へめめくん]。それに比べるといささか手弱そう。でもそれがまた難しいところでもある。気づきのなさげなところも、突きようがない。まともな人にほど、甲羅の硬い人ほど、そう素直に言わしめるのがむずかしい。そういや教習所で、あの教官をなんとかわらかそうとしていた関西の子はおもしろかったな。関西人の発想とか生き様はうける。 ・・・そうこうしているうちにいなくなってしまった。結局宗教板にへばりついてあそんでいただけになってしまった。 ■ 聖書ってお伽話でしょ? ■ これは僕の好き勝手カキコで止めたスレッド。 悲しいけど、なんか、愉快だね! 板が止まったときとか、うれしいよね! 宗教なんかいらない 次第に力でねじ伏せるみたいな風にしてまった。 優しさが維持しなかった。慈悲がオイル切れしてしまった。 まだまだ底が浅いな。 日本に宗教は必要か? 【・・】宗教と平和について【・・】 一行レス君は相変わらず精力的に一行レスしまくってる。 宗教なんかやってる奴はリストラしてやる ここではクビじゃ!と叫び続けている。 原理主義 中絶女の死後 イエスとブッダの共通点 獣心は加速して乗っ取る イエスキリスト父なる神 西暦はキリスト暦 地球各地で時間の表し方が違っていたらめんどいので 一神教の神は物事を共通化する役割の神って位置づけでいいかな キリスト者もそういうのを喜ぶだろうし 因果応報は果たして本当か 人は自分に都合の悪い事を否定し 都合の良い事を肯定しようとする 法に潰されてきた人は法を潰す 法に生かされてきた人は法を生かす この理を受け入れがたい人は 多分宗教が怨みになってしまった人だろう 悪貨は良貨を駆逐する なんで洗脳されているのですか 踏み絵が踏めないのは恐怖からではなく、感謝からであることが理解できない人が多い。まぁカルトでは恐怖になるのかもしれないが、今の時代、わざわざ嫌がらせをさせるのは嫌がらせを受けてきた者に限られる。(負のストローク) 誰しも、全てに呪いをかましている時期がある。生きているものの全てが気に入らない。そのときは対人もストレスで、すべての人間の浅さ(=sennnou)が気に入らない。でも今はそうでもないのはなぜでしょう。引き合う部分は何を持った者同士だったのだろう。 ●宗教●(´・ω・`)ノ●無宗教● ある●いものがいる ●いから●い それ以上でも以下でもない ●でないものは●でないゆえ●でない界隈に集まり ギザギザしたスキャンダルに興じている 呪いの手紙と剃り刃で●をギザギザにしたい しかし●は●だから見向きもしない 怒ってギザギザになる道へ自ら進む 同じような問答を繰り返す者同士 ヒートロス、ヒートゲイン現象で出入りする 空元気を装うためのものもいるし マナ識をぶつけるためのものもいる しきりに嘲笑する人を見て 人はそこになにかを感じ取る 良くも悪くも恥を嫌う文化であるからか、モラルやルールに反することを指摘されれば、それは何に染められた思想なのカナァ〜、その教義を盲信しているわけデスヨネ、いわば君は国家に洗脳されているワケダ、昔はその宗教団体のうちに、自分もいたナァ〜。というハイファットになる。その人間の末路…(云わば本性に逆らうゆえ贅肉の嵩がかさむわけだが)。言葉が自分に返ってきて自己矛盾。それを読まれない限り他人には指摘できないというのに、自分は指摘されている。また自己矛盾。被害意識が発言粘着をし、発言粘着をするので粘着されている、という負のスパイラル。不自然な虚無論や正当性に入り込む原因を読めば、自分の心のうちに非があることを実は認識していることがわかる。指摘すれば悪化するが。その衝動的に悪化する器から察するに、乗り越えられなかったのだろうこと、人生の孤独まで推測できる。真実は、真実とは何かが問題なのではない、真実を拒むしかなくなったら人生は悪化の岐路を辿る。完全な虚無でなければ盲信は消え去ることはない。では真実とは、アルツハイマーが知りうることなのか?また自己矛盾。 --- 5年前にEQ理論の提唱者ピーター・サロヴェイ教授の案内で、エール大学があるニューヘブンの幼稚園を見学した。そこは家庭環境が非常に悪く、生命の危険にたえずさらされている子どもたちが預けられている。EQ理論を基に、子どもたちに自分の感情をコントロールする方法や仲間といっしょにやっていく方法が教えられていた。15人くらいの子どもたちといっしょになって私も授業を受けたが、子どもたちは私にぴったりくっついて離れないのである。--- この心理はわかる。子どもは自分では生きられない。この子らは頼れる大人に守ってもらおうとしている。その人の袖の下にいれば自分は殺されずに済むという意識で行動している。この擦り切れた時代には阿諛追従による保身栄達な輩が多い。人を恐れたまま大人になると、ワルネガの意見に追従するようになる。因を辿れば何がある。 上塗りすれば消える現実などない 一層肥大化して目に付きやすくなる この世に真実などないと言えば安心するのだろうが、真実は、主体には関係なしに存在している。本質は人間的な一切を拒絶したところにある。今さっき誰が自分に何を言ったか今現在自分の味方は誰かにしか興味のない輩が多いが、真実は普遍的なものそのものなので、派閥や感情の迎合による本質論に迎合する人は乖離症状が進むことだろう。思想における真実を拒絶すれば、結局は自分の生命性を失うことになる。まぁ洗脳に「洗脳」を浴びせてる時点で既に耄碌しているが。日ごろの言動からも因果端倪できる。有利なスタンスに持っていくことに必死なゆえにやたらと勝利宣言も目立つ。やはり念によって思考は潰されるでしょう。 「信じるものを押し付ける以上は、根拠が問題になるのですが、結果だけを押し付けられてはたまりません。もちろん、結果を信じるのは、その人それぞれの自由ですけどね。」 などと言っていてはいつまでも家の中。しかも押し付けるという感覚自体は自閉した自意識に因っている。文面を見ただけでグアッッと来たしてしまったかのような心の中に積み重ねられた辛らつな部分を見ることがしばしばある。他者否定である自己肯定の思想に傾倒する以前にあるもの(因)に拠るとプルシャ(真我)にはほと遠くなる。 ゲージがなければ海の深さは測れない 本質的に何も持たないものであるのなら川に何にもかからない 現実の何も信じられない主義に傾倒するにはなんにも信じられないという経験がその分量必要になってくる。結果、現実を信じられない。日本人はみな日本教であり、気づいていない者はほとんどいない。 しかし根本的な致命傷としては、全ては洗脳で思い込みであるのなら、なぜ受け流すことはできないのだろうか。に逢着する。返って来た嘲りを嘲りと見做すのはなぜだろう。なぜ直情的に対応するのだろう。その意識の自認はどこにあるのだろう。そして、自己矛盾論・洗脳論など一般は気にせず構わず生きているのに、それを押し付けるのは布教活動とは言えないのだろうか。神はいないのに神がいると喚くことと違いはあるのだろうか。 万民被洗脳論 もちろん恣意的に想定された「神」などどこにもいない。 100%シンクロして捉えることのできるのは物理数学ぐらいだが 現象は単純でないし、その「言語」すらどこにもない。(ヴィトゲンシュタイン) しかしそれを押し付け虚無主義に陥る人間の儚さよ 被洗脳を押し付け続ける被洗脳もまたカルト性を帯びてくる。 そのシステムを解さない者に対して直情的になりやすい。 相手が要求通りに原理主義であることを認めなければ 視界に居るもの=被洗脳者という結合。 その結合が原理になり直情性も相まって加速する原理主義。 次に出てくる言語はその既成被洗脳への既製侮蔑用語。 世界は己の描いたとおりでなければ成り立たない。 被洗脳者と決め付けてしまえばもうそうでなければ成り立たない。 譲歩できない頑固さが原理主義の特徴になる。 頭は使うほどよくなるが、変に使うと悪くなる。 絶對精神に逆らって、本質をとり逃す。 レトリック地獄で、本質を失う。 利鈍対や明闇対の差になって顕れる。 何かについて想像しているとき、人はそれを信じてはいないのかな。 何かについて考えているとき、人はその考えを信仰してはいないのかな。 頭の良くなった人は、建設する。 頭の悪しくなった人には真実が都合の悪いものになる※ 証明を求め論理性を求め、反面自分も論理性で補強しなければならないので興味のなさそうな読者になり不毛な時間を過ごす。本に内容がないので刺激のある場所を求める。肥やしにもならぬものを勉強にできるのはひとつの正当化された大きな才能ではある。 ※大脳は弱くなると本能的になり、異常になるほど刺激に弱くなる。即座に条件反射で怒り、因果で怒りを被り、被るうちに異常になり、一層壁を設ける。その保護が強靭なほど誤魔化しは複雑な様相を示すようになり、一層正直から遠のく。発露がない。人生に輝きがないのでモニタの輝きに満ちている。 アルツハイマーか大脳の健康さか区別はつかないが、ほんとうにどうでもよい人は何も書かない。粘着している者のみがよだれを撒き散らしながら書く。肥やしになるのは精神薬ではなく自然の塩。 ☆ ○ 神道 @ 質問箱2 ○ ☆ 廃仏毀釈まで1000年ぐらい、仏教が神道を支配していた。 天皇自身は、「仏法を学び神を敬う」とかいうおおらかな態度でいたけど。 神仏習合で神社にも寺院が建てられたりしていた。 でも中では僧侶が神官を支配するという感じだったらしい。 経典のしっかりしていない自然宗教は弱いんだな。 だから大陸世界ではつぶれている。 この国ではやがて国学が生まれて復興していく。 よい歴史を持っていると思う。 カルト議論 霊のいる物理学的理由と神のいる物理学的理由は似たようなものだろうけど、人が感応できるのはその人の精神の物理学的理由に依るので(色不異空)、霊障ばかりを説くのは霊障に満ちた宗教に限ります(空不異色)。ふつう高邁な人にはレベルに合った神仏が付き添っているもので神仏の教えしかほとんど言わないし、霊障があるなら自分で乗り越える方法を教えるぐらいですよ乗り越えられると洞察できるばあいは。 無神論者の叫び 純粋には「無神」は視ることができない 語ることもできない だから純粋有神と純粋無神は反発しあわない特性になる 反発するのは不全な有同士である 反発する質量と反発して返ってくる質量のすべては不全である また反発には不全、不全には反発が互いに因果関係にあり、 その「形質」同士はパズルの組み合わせになる 日本大浄化計画 ステュクスの沼 〔パーソナリティ障害〕 神道の信者になりたい 古事記・万葉集の神道は土着宗教としての扱いだけど、「聖典」よりも素直な感覚だ。人を救うものではなく勝手に生まれてるところがいい。観ているものは人間を含む自然全体であってよき意味で人間的でない。淡々としてる。くらげなす漂へる時の地球のはじまりの描写もなんかいい。これが日本人の素の霊的知性というところだろうか。思想も反省をすると高度化する。あいまいさ、恥ずかしさを解する民族の繊細な感性の結晶ともいえる。 タイの仏教 〔宝石と魔族〕 アユタヤは子供も信仰心があって金箔を張るけどある地域にはマフィアがいるらしい。背反する仏性が覆いかえしてはいないのかな世界遺産だらけで観光地となってしまったのかな。僕がお世話になったところもいまいち不良じみたカフェだった。遺跡は夜になるとライトアップするが中には入ってはならない。犬が獰猛になるしスネークとか何がいるかわからないかららしい。 チャクラってどこにあるの? 止息法とかあるけど、僕は中学のころ、退屈な授業がおれたちの全て、ならば息を止めてた。2分いったんだったかな 頭を使うとすぐ息切れした。 Dark Matte.. 素粒子の世界はオカルトだ。僕は人がオカルトとして手易しく片付けたがるその世界に、最大の興味を置いている。懐疑論に鸚鵡返しするようだが、現実を疑うというのは実際大切だ。懐疑論の果てに神がいるといってもいい。・・・ダニューバーにもわかりえない世界 . |